あいりん(釜ヶ崎)地域基礎知識を、Q&A形式にてご紹介
あいりん(釜ヶ崎)地域とはどこを指すのですか?
大阪市西成区にあります。昔は「釜ヶ崎地区」といわれていましたが、マス・メデイアなどでは「あいりん地区」と呼ばれています。 「地区」というと、地図上に線が引かれた範囲指定があると受け取られるので、大阪市は「あいりん地域」と言い表しているようです。
一つの地域になぜ「釜ヶ崎」と「あいりん」の2つの呼称があるのですか?
「釜ヶ崎」というのは。西成郡今宮村に存在した小字名です。 1897明治30)年の第1次大阪市域拡張で、 今宮村北部(現在のJR大阪環状線以北)は南区に編入されました。 今宮村釜ヶ崎は鉄道で二分されていたので、北部は南区に、 南部は今宮村に属することになりました。南区に編入された釜ヶ崎の地名は、 1900(明治33)年の町名変更で「水渡り」と合わさって「水崎町」となりましたが、 今宮村の「釜ヶ崎」は、 1922(大正11)年の町名変更まで残っていました。 行政地名としてはなくなりましたが、1933(昭和3)年に武田燐太郎が「釜ヶ崎」と 題した小説を発表していることでもわかるように、地域呼称として使われ続けています。 (参考:今宮・字名変遷攷)
一方の「あいりん」の方は、地名とは関係ありません。 行政関係で使われ始めました。1960(昭和35)年7月に「西成愛隣会」が結成され、 翌年4月には「西成愛隣会館」が開設されています。 1962(昭和37年)2月に、未就学児童の対策としてつくられたのは「愛隣学園」でした。 1961年8月の「釜ヶ崎暴動」を受けて設置されたのが「釜ヶ崎対策連絡協議会」ですから、 行政関係でも「釜ヶ崎」の呼称が使われていなかったわけではありませんが、 地区内の施設などの名称は「愛隣」が多く使われていました。
1983(昭和58)年度大阪市立更生相談所事業概要につけられた年表には、 昭和41年6月に「釜ヶ崎」を「愛隣地区」と名称変更と記載されています。 行政関係では、「愛隣地区」が「あいりん地区」になり、 現在の「あいりん地域」あるいは単に「あいりん」というように、 呼称が変わっている事がわかります。




